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HSCな幼少期

小さい頃から、内気で虚弱体質でした。

幼稚園の日誌には

「もっとお友達と遊べるといいですね」
「もう少しお外でも遊びましょう」
と書いてありました。

小学生時代は、習いごとを週5日。休日もいろいろな場所へ連れ出されていました‥。

家で休む時間がなく、体が限界で 一度だけ
「習い事を辞めたい」「家にいたい」
と言いました。

しかし両親から言われた言葉は
「なら出ていけ!」
とても悲しみ、それ以降は二度と自分の意見を言いませんでした。

準備が遅い、素早く行動しないなど

自分のペースで何かをしようとして、両親の思い通りにいかないと、些細なことで怒鳴られることが恐怖でした。
小学校では運動会、卒業式の練習など行事ごとに声が小さいと最後まで残されていました。

最終的に やる気がないなら帰れ!と言われ帰っていました。

ストレスで前髪を抜くようになりながらも、なんとか小学校を卒業‥


中学1年になり、朝起きられなくなる

中学に入学して1カ月、朝起きることができなくなりました。起立性調節障害でした。

毎朝布団を無理やり取られ

「また先生から電話がきた!」
「起きろ!」
「何時だと思ってんだ!」
と怒鳴られていました。

深夜まで部屋に引きこもりゲーム。
家族が寝静まった後にお風呂やごはん

部屋でテレビを見ていたとき
「なにやってんだ!」
と父の声。
ドアをドンドンと叩かれ鍵を開けると、そのまま家を追い出されて、外で過ごす日もありました。

母が、母の職場の人に
「うちの子学校に行かないのよ」
と話していました。直接関係のない人にまで広められるのは、悲しかったです。


そして中学2年生の時くらいには諦められていました。良かった。


久しぶりに学校に行くと困ること

中学入学してから最初の1ヶ月は、8時か9時ごろには起きられていました

しかし学校に行っても、遅刻するなと校門でキツく注意される。何回か遅刻すると、帰れ!と言われる。

それなら校門の見張りの先生がいない
お昼の時間に行くか、行かないほうが良いと思いました。

遅刻しないために朝まで眠らずに行った時、具合が悪くなってしまい
先生に調子が悪いと伝えても
本当か?と疑われていました‥。

久しぶりに学校へ行くと
授業が進んでいてわからない

・美術、技術、家庭科の製作が1人だけやっていない、何をするかわからない

・宿題を集める時、提出できない

・授業で使うプリントを持っていない

・体育の授業の時のグループに入っていない、何をすればいいのかわからない

・教室移動する授業の座席がわからない

・行事の役割がない

・2人1組は普段いない人間は余る

・たまにしか来ない生徒が嫌?なのか全ての行動を注意してくる先生
etc.


ときどき、テニスのアニメが好きで入部したバドミントン部(テニス部が無かった)
に行ってる時だけは楽しかったです。


定期テストや高校入試の結果

中学3年の時、家で勉強をして定期テストだけ受けに行ったことがありました。

しかしテストの点数が90点以上でも、提出物や出席点が無いからか通知表の評価は1か2でした。

中学3年間で出席日数100日くらい。

一応普通の高校受験はしました。
入試の自己採点では5教科平均70点くらいの点数でしたが、内申点が無く出席日数が少ないので落ちていました。

なので家から徒歩10分のところにあった、夕方から授業の始まる定時制高校にいきました。

普通の高校に転校する

定時制高校に通っているとき、ふと一度の人生、普通の高校生活も経験したいと思い、普通科編入試験の勉強を始めました。

先生方には前例がないと言われ止められましたが、無事普通科の高校に編入できました。

電車通学の偏差値が高めの学校と、
自転車通学の偏差値が低めの学校に合格しました。

両親には高偏差値の学校をすすめられましたが自分には満員電車の通学は出来ないと思い、自転車で行ける方の高校を選びました。

普通科の高校はやっぱり人が多くて、厳しい先生もいて、普通の高校生活でした。


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  • 定時制高校の思い出


    授業
    ・定時制の授業は小学生レベルから始まっているため、通知表はオール10目指せます

    ・体育の先生が厳しくない、授業内容も割と自由

    ・体育の服装が自由

    生徒・先生
    ・生徒は色々なタイプのひとがいる

    ・色々な事情の生徒がいるからか、厳しい先生がいない

    学校生活
    ・夕方からの授業なので朝起きられなくても行ける

    ・夜の学校は不思議な感じがする

    ・給食が食堂で自由な席で食べられる

    ・身だしなみ自由

    ・校舎がお昼は普通科の大きな高校なので、定時制の時間は教室も廊下もほぼ人がいない

    ・さらに不良の生徒がだんだん登校しなくなるのでクラスもがらがら

    ・頼めば放課後に音楽室の楽器(ドラム等)がひける

    部活など
    ・四年制なので部活の先輩が四年生もいる

    ・定時制通信制バドミントン大会がある

    ・東京大会から始まり、個人戦5位以内に入ると全国大会にいける

    ・東京5位以内の、学校がバラバラの人たちで東京チームを組む、20歳を超えた人もいる。

    その他
    ・様々なことが起こる
    (クラスメイトが学校に通いながら出産する、外国の方や、ご年配の方が編入してくる等)
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HSPに気づくまで

大学に進学、そして就職‥
約半年で退職しました。

どんな仕事が自分に合うのかわからなかったのでいろいろなアルバイトをしました。

数日~数カ月続いたアルバイト
本屋さん
ゲームセンター
遊園地
携帯屋さん
児童館
カラオケ
郵便局

数分~1日で辞めたアルバイト
居酒屋さん
ファミレス
売店
古着屋さん
工場


・ざわざわした音、人口密度の高さ。
・体育会系や怒鳴り声。
・大人数で話すこと。
・休憩時間も一人になれない‥
しかし塾の講師だけは長く(約8年)続きました。
生徒と一緒に喜んだり、いろいろな話を聞くことは楽しかったです。


カウンセラーになるきっかけ

その後、家族が精神疾患を患いました。
話しかけても返事がなく、震え、涙が止まらない‥
翌朝病院に連れていきました。
診断結果は 適応障害・抑うつ状態

詳しく話を聞くと、職場の事業がうまくいかないことを自分自身のせいだと責めていました。
こんな状態になるまで頑張っていたのか‥

症状を理解し、元気を出してもらいたくて、うつや心理療法の勉強をはじめました。

さいごに

勉強をしていく中で、HSPという生まれもった気質があることを知りました。
それは僕自身にも当てはまっていました。

最初は身近な人たちの悩みを聞いていましたが、

世の中にはHSPの方、悩みをもっている方
過去の自分のように学校に行けない子が大勢いることを知り、

つらい時に心がやすらげる場所があれば‥と思いカウンセリングルームをつくりました。
心の休憩の場として、皆様のお役に立てましたら嬉しく思います。




最後まで読んでいただきありがとうございました💫

カウンセリング資格等
一般財団法人 日本能力開発推進協会 不登校訪問支援カウンセラー
一般財団法人 日本能力開発推進協会 上級心理カウンセラー
一般財団法人 日本能力開発推進協会 行動心理士
特定非営利活動法人(NPO法人) 認定子育てアドバイザー